管理人室

 徳畑作子さんとのお付き合いは、断続的ではありますが、10数年になります。最初に出会ったのは、彼女が高校生のときでした。そのころ私は大学生で、ある青年団体で活動し、高校生メンバーの世話役をしていました。そこに新加入したのが彼女だったのです。男ばかりのむさ苦しい感じの団体でしたが、気取らないほのぼのとしたやさしい美しさは、その場の雰囲気を和ませ、知的な魅力のある人という印象を受けました。初めて会ったときに着ておられた赤いセーターが非常に印象的で、当時の仲間は今でも親しみをこめて、「さっちゃん」と呼ばせてもらっています。
 活動についてレクチャーする中、私と同じ高校に通っていることを知り、音楽部でコーラスをしていることや、自治会でも役員をしていることなど、活躍されていることを知りました。そのあとすぐ、私の活動分野が大阪府全域をカバーする機関に変わってしまったので、いっしょに活動することは一時中断となりました。
 私が再び東大阪で活動するようになったとき、作子さんと再会しました。とはいっても、それまでも、イベントなどで会うことはあったのですが、挨拶をする程度でした。すでに彼女も大学を卒業し、本格的にソプラノ歌手への道に進み始めていました。
 作子さんは自宅近所のパン屋さんでアルバイトをしながらのレッスン生活。傍目からは地味に見えました。なぜ、パン屋さんでアルバイトしているのか聞いことがあります。すると、パン屋さんの店内は、湿度が一定に保たれていて、のどにいいのだそうです。歌手というプロ意識に基づいた賢明な選択だったことに感心しました。また、週に1回のミーティングに、パンのお土産を持ってきてくれたことがありました。いっしょに色々なイベントに参加しましたし、年越し鍋パーティーのような仲間内の小さな行事にも気さくな人柄から気軽に参加してくれました。
 そのころ私は肉体的にも精神的にも不安定で、気分が滅入ることが多く、ミーティングにも欠席することが多くなっていました。そんな中、私にとって大きなチャンスが到来します。作子さんのすすめもあって、作子さん自身の講師による歌のレッスンを受けることになりました。
 そのときのことをちょっと詳しくお話しますと、2週間に1回2時間程度で、レッスンの最初にストレッチ体操をします。歌のレッスンなのにと思われるかもしれませんが、柔軟な体でないと十分に声が出ないのだそうです。そして発声練習をした後、楽曲の練習へと進みます。終わり際あたりが一番声が出ていたように思います。十分に体が柔軟になっていないと思い通りの歌唱表現・感情表現ができないのだそうです。
 レッスンのときは、作子さんの愛猫ミミちゃんがいつもピアノの上でほっこりとしています。ピアノの大きな音にびっくりしないのかなぁと思いましたが、そこはソプラノ歌手の家の猫ですから、びくともしません。反対に「おまえの歌は下手だニャ」っていう風です。私以外にも子どもさんのレッスンをされておられ、段取りはすごく手馴れておられました。合同発表会なども催されていたそうです。私も参加したかった・・・。
 練習した楽曲は、「羽生の宿」「カロミオベン」「サンタルチア」など数曲だけです。というのも、その後私が体調を崩してしまい、レッスンを受けられなくなってしまったのと、作子さんがドイツへ留学されたことによります。
 レッスンのあとは心が癒され、思いっきり声を出して歌ったこともあり、大変気分爽快になりました。それまでも作子さんの歌を聞いたことはありましたが、このように間近に接して、あらためて作子さんの魅力を実感しました。
 ドイツ留学から帰国されたときに帰国報告コンサートが催されました。そのときの告知チラシと当日配布されたリーフレットを作成したのは、何を隠そう私です。Windowsパソコンで作ったチラシの第1号でしたから、残念ながら今から思えば出来栄えは今ひとつのところがありましたが、精一杯がんばって作ったつもりです。
 ソプラノ歌手として活躍されもう10年以上になりますが、結婚され関東で生活されておられたので、後援活動も大阪在住の私たちにとっては困難がありました。最近になって近隣地域に居を移され関西での活動を本格化されるようになったことを機に「さっこさんのソプラノ・ロマンの会」という後援会も発足しました。私も恥ずかしながらその会の運営委員として末席を汚すことになりました。
 さっちゃんの歌の世界によって、多くの人の心が癒され、平和を愛するやさしい気持ちがゆたかになって、愛があふれる平和な世界になることを心から願ってやみません。

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徳畑作子さんのファンページは、にっしーによる私的なファンページです。作子さんや所属事務所とは一切関係がありません。

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